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宮崎県の観光ブームに貢献した
バス会社「宮崎交通」



宮崎交通株式会社は、宮崎県内で営業を行なうバス事業者です。宮崎の観光ブームをけん引した会社でもあり、創業者の岩切章太郎氏は宮崎県民にとって「宮崎県観光の父」とも言われていました。一時期は「納涼バス」という夏限定バスも登場し、宮崎県内を走りました。ここでは、宮崎県を代表するバス事業者である、宮崎交通について紹介します。

宮崎県の観光ブームを引き起こした宮崎交通

宮崎県の観光ブームを引き起こした宮崎交通

「宮崎交通株式会社」とは、宮崎県内で最も規模の大きいバス事業者で、宮崎県内のバスのほとんどが宮崎交通です。宮崎交通は、岩切章太郎氏が1926年(昭和元年)4月22日に創業した宮崎市街自動車がその前身です。

創業当初は、バスが4台しかありませんでしたが、1931年に転機がありました。観光遊覧バスを運行し始めたところ、これが話題となり宮崎県の観光開発のきっかけとなりました。1933年からは宮崎を日本中に宣伝し、1960年代頃には新婚旅行の場所として宮崎ブームが起こりました。1943年にいくつかの企業を合併させたために宮崎でのバス事業者は宮崎交通のみになり、現在のような独占状態になりました。

また、俳優の三國連太郎はこの宮崎交通に勤めていました。

宮崎交通の車両

宮崎交通の車両は、国産メーカーをバランスよく導入していました。現在では、いすゞ自動車製の車両を路線バスに、三菱ふそうトラック・バス製の車両を高速バス用にする傾向もあります。宮崎交通は、車両を大切に扱っているために20年以上経った車両が走っていることもあります。中古車は、ほぼ取り入れることはなく、路線バスの車両は中型車が多いことも宮崎交通の特徴のひとつです。

路線バスの車両のカラーは、路線や貸切によって違いがあります。路線バスは、白色をベースに窓の下には青色のライン、さらにその下に水色のラインを引いています。貸切バスは白色をベースに車両中央に水色のライン、車両の下部に青色のラインを引いています。

夏の風物詩「納涼バス」

宮崎交通は1955年から1970年まで「納涼バス」というバスを運行していました。夏に運行されていたバスで夕方頃から宮崎市を出発し、宮崎県南部にある国定公園・日南海岸へと走り、そこで休憩したあとに宮崎市内に帰るコースです。1960年には、レコード「納涼バスの歌」もリリースされています。納涼バスが流行っていた頃はちょうちんを付けて走行し、当時の宮崎市では夏の夜に恒例の風景となっていました。

以後、自家用自動車が普及し始めたこともあって納涼バスの運行は終わってしまいました。しかし、高い人気を誇っていたため、何度か復活して限定運行されたこともあります。